0496_鳥羽法皇死去後の急展開。保元の乱での激突は、あらゆる内部対立の表面化
1156年に起きた「保元の乱」。後白河天皇側には、藤原氏の関白忠通、平清盛、源義朝たちがつき。崇徳上皇側には、藤原氏の左大臣頼長、平忠正、源為朝、為義たちがつきました。あらゆる一族が分裂して衝突した保元の乱について語ります!
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